大江戸写真散歩
広尾駅から 赤羽橋まで
広尾橋の交差点を約150m東に来たところに、有栖川宮記念公園がある。この地は、旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であったが、明治になって、有栖川宮御用地となり、更に大正になって高松宮御用地となり、昭和9年(1934)になって御用地約1万1千坪を公園地として下賜されたものである。 | 広尾橋交差点 |
入口 |
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説明板 |
公園前の歩道に南部坂の標柱が立っている。 南部坂の右手にドイツ連邦共和国大使館があり、坂に沿った壁に、「修好通商条約締結150周年記念 ドイツ人の目を通して見た150年前の日本の風景展」が展示されている。 坂上を右折し、150mほど行くと左手にフインランド大使館、右手にアルジェリア民主人民共和国大使公邸がある。 |
ドイツ大使館 |
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大使館 |
アルジェリア 大使公邸 |
フインランド大使館の角を左折して約250m先の突き当りを右折すると薬園坂の坂上にいたる。 江戸前期、坂の西部に幕府の御薬園(小石川植物園の前身)があった。なまって、役人坂、役員坂と呼んだという。標柱の横に見える建物は、イランイスラム共和国大使館である。 坂上に戻り、三叉路の左側の道を行くと、若松寺を経て、落語編「黄金餅 その2」で歩いた「麻布絶江釜無村」の絶江坂にいたる。 |
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坂を下っていくと、左手に淨専寺、右手に延命院がある。 絶江坂の標柱やお寺の建物などが、数年前に来たときと較べて、見違えるように新しく綺麗になっていた。 絶江坂を下りきると、明治通りに出る。通りの向こう側が、四之橋である。 |
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古川の上を、高速道路が覆いかぶさるように通っている。橋の欄干に、四之橋の由来を記した金属板が取付けられている。古地図に「相模殿橋ト云」とあるのは、橋の西北角に土浦藩主土屋相模守の下屋敷があったためという。 四之橋の下流に、白金1丁目の大久保通りに通じる新古川橋がある。 |
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新古川橋の、明治通りを挟んだ向い側に、西福寺と圓澤寺が並んである。この二つの寺の北隣が、落語「黄金餅」で、西念の亡骸(なきがら)を担ぎ込んだ木蓮寺とみなされている曹渓寺である。 |
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新古川の下流が古川橋である。ここで古川は、北に向かって直角に左折し、これに沿って明治通りも桜田通りと合流して北上する。古川の上は、相変わらず高速道路が覆いかぶさるように走っている。 | 古川橋 |
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古川橋から約250mで三之橋にいたる。川の左岸に平行して、今回の目的地である「麻布の古川町」の道筋がある。町はくの字に曲がって250mほど続く。昔、この辺りはほとんどが武家屋敷と寺社地で、町家は二之橋と三之橋の間に川沿いに細長く点在していたようである。歩いて見ると、今もなお、なんとなくそんな感じがするただずまいである。 旧古川町を過ぎた先に南麻布一丁目児童遊園橋という長い名前の橋がある。その先100mで、二之橋である。 |
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二之橋の上で高速道路が二階建で走っている。橋の下流側左詰めに、旧二之橋の親柱が保存されている。 橋の東側は日向坂で桜田通りに通じている。江戸前期に、坂の南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があったことに由来する。誤って、ひなた坂と呼んだという。 坂の途中に、面白い屋根の形をした圓徳寺がある。 |
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二の橋交差点の南西角に福泉寺がある。枯山水の庭園があるという。 日向坂の対面が、仙台坂である。 二之橋の下流200m弱のところに、小山橋がある。また、地下鉄南北線の麻布十番駅がある。 |
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その先150mほどで、一之橋にいたる。頭上で高速道路が交差しているので、頭を押さえつけられるようである。 一の橋交差点には親水公園があったが、今は古川の洪水対策として地下調節池を工事中のため、周りを白い囲いで覆われていた。 ここで古川は、直角に右折して東進し、日の出桟橋方向に流れて東京湾に注いでいる。 |
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一の橋交差点から200mほどで新堀橋にいたる。そして、その先約200mで中之橋にいたる。一之橋と赤羽橋の中間にあるので、この名があるという。 中之橋は、万延元年(1861)ハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンが暗殺されたところである。 橋の下流側に、中ノ橋児童公園がある。その先に、地下鉄大江戸線赤羽橋駅と赤羽橋交差点がある。 |
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赤羽橋交差点からは、東京タワーが大きく見えている。赤羽橋は、橋の幅が広く長さが短いので、そこに橋があるようには見えない。 高速道路の下をくぐったところに、旧赤羽橋の親柱が残されている。 今回の散歩は、ここまでとする。 |
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あとがき 古川に架かる橋の名称は、歴史的に「一之橋」「二之橋」、都営のバス停は「一ノ橋」「二ノ橋」、交差点の名称は「一の橋」「二の橋」、と使い分けられている。行政区域の違いによるものかどうか知らないが、煩わしい。 なお、落語「小言幸兵衛」の噺にはもう少し続きがある。すなわち、仕立て屋の次にものすごく威勢のいい職人が飛び込んできて、家主・幸兵衛をやり込めてしまう。幸「ところで、あなたの商売は何でございますか。」職「俺は鉄砲鍛冶だ」(あるいは、「花火職人だ」)幸「へへ、どうりでポンポン言う」。 |