大江戸写真散歩
品川から 五反田へ
まえがき 落語「大山詣り」の粗筋は、 長屋の講中で、大山参りに出かけることになった。毎年、道中で喧嘩が絶えないので、今年は、怒ったら2分の罰金、喧嘩をしたら丸坊主にするという決まりをつくって出立した。 無事お山も終わり帰路に着くと案の定、熊公が酒に酔って大喧嘩をしでかす。ぐっすり寝込んだ熊公を丸坊主にした一行は、翌朝熊公を置き去りにして旅籠を出てしまう。目を覚ました熊公は怒り心頭に発し、早籠を仕立てて一足先に長屋に帰り、かみさん連中を集めて芝居を打つ。 「かわいそうなことに、お前さんたちの亭主は皆死んでしまった」 お山の帰りに、金沢八景を舟で見物しようということになり、船頭が南風が吹いているのでやめろというのも聞かず舟を出した結果、嵐になって船は難破し、自分独りだけが浜に打ち上げられた。ここに頭を丸めて皆に知らせにきた、というのである。かみさん連中はこの話を信じてしまい、全員尼になって主人の回向をすることになった。 一方亭主連中は、八つ(午後2時頃)に、身内のものが八ツ山下の茶屋まで出迎えに来るはずが、いっこうに現れない。シビレを切らして長屋に戻って見ると、そこは青々とした冬瓜(とうがん)船が着いたようで、おまけに念仏まで聞こえてくる。 熊公の仕返しと知って息巻く連中を先達がなだめて、「まあまあ。 お山は無事で、皆お毛が(怪我)なくて、めでたいめでたい」。 さて、今回の散歩はJR品川駅西口(高輪口)よりJR五反田駅までの、約4kmのコースである。 |
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品川駅を出て第一京浜を渡ると、すぐ高山稲荷社がある。伏見稲荷の分霊を祀った社で、昔は二百数十段の山峰に位置し高山神社と称され、この地方の鎮守の神様であったという。 ここから先は八つ山の崖の石積みが続く。品川駅を振り返ると品川グランドコモンズの高層ビル群が品川の海の眺めを遮っている。 |
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石積み |
グランドコモンズ |
駅から約350mで八ツ山橋の三叉路に出る。左に行くと旧東海道で、八ツ山橋を渡る。 |
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広場から、いったん地下通路を経て八ツ山通りに降りる。歩道橋を渡ると「東海道品川宿」の標識が目に入る。丁度その向かい側に「連」の看板を掲げた銅板建築の店が目を引く。落語「居残り佐平次」に出てくる鰻屋があったところだという。 こ角を右折した突き当りの北側が品川宿の北のはずれの徒歩(かち)新宿で、落語「大山詣り」に出てくる八ツ山下の茶屋のあったところである。 品川宿は北から、徒歩新宿、北品川、南品川と3つの宿があり、この3宿を合わせて品川宿と称していた。 |
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標識 |
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旧東海道を北に(高輪方向に)150mほど行くと京急線の踏切りを渡って棒鼻に出る。ここは八ツ山橋の広場の一角である。棒鼻とは、宿場の境界には棒杭が立っていたところから、宿駅のはずれをいう。 棒杭には、「従是南 品川宿 地内」他の面には「従是南 御代官築山茂左衛門支配所」とある。特に説明は要らないであろう。 ここから新八ツ山橋の東詰めに出ると、キリスト品川教会の塔が遠望できる。ここに「江戸から8Km」と書かれた現代版一里塚がある。 |
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第一京浜国道に沿って京急本線の北品川駅の前に出る。駅前の歩道橋を渡って、品川女学園の前を150mほど行って信号を右折すると、そこが御殿山通りである。 跨線橋を渡ると右側に御殿山庭園とホテル・ラホーレが見える。200mほど進むと左手にミヤンマー大使館とその向かいに翡翠原石館がある。 この通りの辺りが、後に徳川将軍の品川御殿となる大田道灌の館のあった所と伝えられている。 |
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ミヤンマー大使館前の道の突当たりを左折し150mほど行くと、比較的桜の木が多い公園がある。説明板によると、この辺りは、江戸初期に将軍の狩猟の休憩場所や諸大名の参勤送迎のための品川御殿があったので、御殿山と名付けられた。また、将軍家光、小堀遠州、沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文期(1661〜73)頃から吉野桜が植えられ、桜の名所となった。しかし、嘉永6年(1853)の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設のため御殿山が掘り崩ずされたので、昔の面影は失われてしまった。 公園横の目黒川に向かって下っている御殿山の坂の名称もそこから付けられている。昔はもっと急な坂であったが、何回かの改修で今は緩やかになっている。 |
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今来た道を戻って、ミヤンマー大使館の前の角を北に100mほどで原美術館の前に至る。原美術館は、昭和初期に建てられた邸宅を改装した現代美術館である。 原美術館の裏手、即ち東側に御殿山庭園があり散策通路になっている。庭園住宅や高級ホテル、高層オフイスが建っている。庭園を一周散歩して、八つ山通りに出る。 |
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新御殿山橋を通って道の向こう側の開東閣の前に出る。振り返ると、キリスト品川教会の塔が見える。 開東閣は、1万1千余坪の旧岩崎家の別邸で、今は三菱グループの倶楽部となっている。邸内からは、眼下に品川海浜の素晴らしい眺めが楽しめたという。 |
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開東閣の西側の道を御成門通りといい、将軍が鷹狩りなどの折に、品川御殿を訪れた時のお成り道だったという。 この辺りは高輪台地東端に当たる丘陵地帯で、八つの洲(岬)が海に突き出ていたので八ツ山という名がついたという。この山は、江戸期に道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸工事のために切り崩され平らになったといわれている。御殿山交番のある辺りが一番高い地点で、この前の通りをソニー通りと呼んでいたが、現在は、ソニー本社は、品川インターシティに移っている。 そこから西に向けて八つ山の坂が下っており、約1kmで終着点のJR五反田駅に着く。 |
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あとがき 「目もと美くし御所桜、御殿山なす人群の、−−−」という唄の文句にさそわれて、もう少し桜があるものと期待して出かけたが、予想に反して、桜の景色は極端に少なかったし人出も少なかった。向島の桜、飛鳥山の桜に較べると、御殿山や八ツ山における江戸の面影は、寂しいものであった。もう少し公園として残すことができなかったかと思われた。 なお、御殿山を崩して造った品川砲台(御殿場山下台場)は、以前、「品川コース その1」で行った鯨塚のあった利田神社の東側100mくらいのところである。台場の敷地の半分に台場小学校が造られている。回りの道路は5角形をしており、往時の台場の面影を見ることができる。 |