大江戸落語散歩
田原町から 蔵前神社へ
まえがき 岩清水八幡宮、今の蔵前神社の境内に「しろ」と呼ばれた純白の野良犬がいた。人間になりたいと三・七、21日の日参をして、うまく人間になった。素っ裸で立っているところを、桂庵(けいあん=口入れ屋)の吉兵衛さんに出会い、着物を着せて貰って、千住のご隠居さんのところに口入れしてもらう。 「名前は?」「しろ、です」「只四郎か・・・、イイ名前だ」。「ところで、チンチン沸いている鉄瓶の蓋を取ってくれ、・・・チンチンをするんじゃない」。「そこの、ほい炉(茶焙じ)を取っておくれ・・・ホエルんじゃない」。「おもと〜、おもと(女中の名前)は居ないか、もとはいぬか?」「今朝ほど人間になりました」、が落語「もと犬」の筋書きである。 今回の散歩は、営団地下鉄銀座線の「田原町」から蔵前神社を経て、都営地下鉄大江戸線の「蔵前」に至る2km弱の距離である。 |
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集合場所を「田原町」駅にしたのは、本法寺の「はなし塚」に立ち寄るためである 田原町の駅を地上に出て、国際通りの二本西の筋を南に50mほど行ったところに、本法寺がある。この寺の周りには、いつも自転車が放置駐車してある。駅に近いせいであろう。 |
本法寺
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お寺のブロック塀は、昭和29年頃に建てられたというが、寄進をした噺家や、いろいろな芸能人および関係企業の名前が刻まれている。写真で見るとおり、赤が入っていて派手な塀になっている。 一つ一つ読んでいくと、顔が懐かしく思い出される人も、ところどころにある。今は昔、といった人の名前が多い。 |
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「はなし塚」の右下に「扇塚」がある。噺家の小道具は、扇子と手拭だけである。使い古した扇は丁重に供養される。この扇塚の裏面には、「平成15年寿 落語芸術協会建之」とある。 「はなし塚」の右の端に「お伽丸柳一」の碑がある。碑面の右側に皿回しの図が線描されている。初めは石の傷かと思ったが、よく見ると、皿回しの竿が描かれているのだった。お伽丸は、昭和初期の、曲芸師である。 |
扇塚 klick |
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本法寺を出て南に100mほど行った四つ辻を右折し、50mほどで左折し、新堀通りの1本東の筋を入ってすぐ右手に、龍宝寺がある。通称鯉寺である。 門を入ると、昇鯉観音菩薩を彫った鯉塚と縁起を記した碑が真新しく見えた。 縁起の要約は、嘉永6年(1853)のこと、この寺の門前で若者達が船を出し、4尺5寸の大鯉を捕らえて食べたら死者や病人が出たので、弔いの塚を立てたとある。詳細は「鯉塚縁起」の碑を拡大して読んでもらいたい。 |
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鯉寺を出て250mほど南下し、春日通りに出て少し西にずれて通りを渡り、新堀通りの1本東の筋を60〜70m南に行った左手に、龍寶寺がある。鯉寺と同じ名前の寺である。 こちらの寺には、初代柄井川柳の墓があり、川柳寺と呼ばれている。 辞世の句と伝えられる句碑が建っている。 「木枯らしや 跡で芽をふけ 川柳」 享保3年(1718)生まれの柄井川柳と、俳諧、前句付、狂句、川柳、雑俳などとのかかわりが記された説明板が立っている。 |
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川柳寺を出て南下し、突き当たりを東にクランクして100mほどいった右手に西福寺がある。門の右手に「育英小学校発祥の地」の碑が見える。 明治2年(1869)、新政府により小学校の設置が定められ、翌3年には東京に六つの小学校が設立された。その一つが、この西福寺境内に設立された「仮小学・第四校」で、現在の台東区立育英小学校の前身である。近隣の旧大名、旗本及びその家臣の子弟たちが入学したといわれている。したがって、当地は、東京で最も早い公立小学校発祥の地である。 |
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西福寺を出て今来た道を戻り、精華小学校の北側の道を国際通りに出て信号を渡り、最初の四つ角を左折し、続いて二つ目の四つ角を右に曲がったところが、蔵前神社である。 当社は、5代将軍綱吉が元禄6年(1693)、山城國(京都)男山の石清水八幡宮を当地に勧請したのが始まりで、藏前八幡または東石清水宮と呼ばれていた。昭和26年に蔵前神社と改名された。
「しろ」が人間になるようにと祈願した神社であるが、それを伝えるものは見あたらない。 |
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当社は、相撲との関わりが深い神社である。江戸時代に勧進相撲の三大拠点といえば、ここと深川八幡宮と両国回向院であった。 そんな関係から、鳥居の左右には、日本相撲協会の名前や横綱の吉葉山、鏡里、東富士、千代の山などの名前の見える石玉垣が並んでいる。昔は、さぞかし広い境内であっただろうが、今は、こじんまりとした街中の静かな神社である。 蔵前神社の北側に、蔵前駕籠で紹介した榧寺がある。その榧寺の北側が都営地下鉄大江戸線の「蔵前」の駅である。ここで解散とする。 |
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あとがき 今回散歩した地域は、浅草通り、新堀通り、国際通り、江戸通り、と交通量の多い通りに囲まれた一帯であったが、歩いてみると意外に静かな下町風情の残る町並みであった。また浅草に近いこともあって、お寺の多い街であった。 そんな街中にぽつんと昭和の風情を色濃く残した銭湯があった。またそこでは、四輪車に野菜や果物、こんにゃくや納豆などを満載して各戸に声を掛けながら売り歩く、まさに平成の「棒手振り」爺さんに出会った。まことに、のどかな散歩であった。 銭湯「梅の湯」の窓は、周りの高層ビルから覗かれないようにプラスチックの波板を打ち付けて目隠しがしてある。昭和と平成が並存している「蔵前4丁目」の景色であった。 |
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