大江戸写真散歩

   

まえがき
落語「目黒のさんま」は、皆さんよくご存知の古典落語の代表格のひとつである。

目黒に狩に出かけた殿様が、秋刀魚を焼く匂いにつられ、お供の者が「秋刀魚、鰯は下司魚だから、殿様が口にするものではありません」と止めるのもきかず、うまいうまいと4匹も5匹も食べてしまう。お城に帰った殿様は、目黒で食べた秋刀魚の匂いと味が忘れられず、ある日「秋刀魚を持てー」と相成る。日本橋の河岸より房総の活きのよい上等の秋刀魚を仕入れてくるところまではよいが、脂を抜いたり、骨は毛抜きで小骨までも抜いて殿の御膳に供したので、目黒の秋刀魚とは全く違ったものになっていた。「殿、秋刀魚にございます」「これが秋刀魚か」、ともかく一口食べて「これはどこの秋刀魚じゃ」「房総で取れたものにございます」「何、房総。房総はいかん。秋刀魚は目黒に限る」。
 
では、殿は目黒のどの辺りで秋刀魚を食べたのであろうか。今回は、秋刀魚を食べたという茶屋の跡を探して、その近辺を散策することとする。
地図
クリックして拡大表示
JR山手線の恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイスに向かって、動く歩道・スカイウオークを進み、動く歩道がなくなったところで道路に出る。ここに、山手線を跨いでいる恵比寿南橋がある。

この橋は通称アメリカ橋と呼ばれている。狩人や山川豊が歌った「アメリカ橋」はこの橋である。いわれの詳細は、説明板を読んでいただきたい。

アメリカ橋を渡り、目黒三田通りに出て左折し、約300m南進すると、左に三田橋が見えてくる。
アメリカ橋
click
恵比寿南橋
click
アメリカ橋説明板
click
三田橋の筋向いに三田春日神社の鳥居と赤い社殿が見える。

三田春日神社の右側の細い道路を斜めに150mほど進む(東進)。途中、道路の上まで枝が張り出している椎(?)の巨木を見る。その先で左折する。少し下り坂になるが、坂を下りきってしまわないように注意。

この辺りは高台の端で、以前は富士山の絶景がよく見えたところだったという。


三田橋


三田春日神社
この辺りの道路は昔のままの曲がりくねった坂道が多く、一筋縄では目的地に行き着かない。ともかく地図と番地(三田2-12-14)を頼りに、探すことになる。

道の突き当たりに「茶屋坂と爺々が茶屋」の説明板を見つける。

此処は富士山の眺めがよい場所で、百姓の彦四郎が茶屋を開いていた。

3代将軍家光が鷹狩りに来るたびに立ち寄って、休んでいった。そして彦四郎の人柄に好感を持ち、「爺々、爺々」と声を掛けていたので、この茶屋を「爺々が茶屋」というようになったとある。

10代将軍家治には、団子や田楽を差し上げた、とある。こんなところから「目黒のさんま」の噺が出来たのだろうという。
「茶屋坂と爺々が茶屋」の説明板
click


茶屋坂
「茶屋坂と爺々が茶屋」の説明板の前を道なりに少し曲がりながら降りていくと、茶屋坂の上に出る。

坂の正面には富士山ならぬ、清掃工場の巨大煙突が高々とそびえている。

茶屋坂は見た目よりも急勾配で、坂の一部分は滑り止めの特殊舗装が施されている。

昔は江戸と目黒を結ぶ道筋で人通りも多かったことだろうが、今は静かな住宅街で、道行く人影も少ない。



茶屋坂の標柱
茶屋坂の説明
click
爺々が茶屋の説明板から5,60mのところに、アルジェリア大使館があり、茶屋坂をおりきって新茶屋坂の通りに出る手前にポーランド大使館がある。半旗が掲げられていたので、塀越しに大使館員らしき人に尋ねたら、昨日巡礼のバスが交通事故を起こし、多数のポーランド人が死傷したので、国として3日間の喪に服することになった、とのことであった。

ポーランド大使館に行く途中に、「茶屋坂街かど公園」があり、ここに清水が湧いていたという「茶屋坂の清水」の碑が建っていた。


アルジェリア
大使館


半旗を掲げる
ポーランド大使館
(2007,07,24)
茶屋坂の清水碑
click
以上で、「目黒のさんま」にまつわる「爺々が茶屋と茶屋坂」の探訪は終わる。

ここから2,3の神社やお寺を回りながら、JR目黒駅に帰ることとする。

まず目黒川にかかる中里橋を渡って山手通りに出て、左折する。600mほど来ると目黒通りとの交差点に、大鳥神社がある。

大鳥神社の左隣の大聖院には、旧島原藩の下屋敷にあったキリシタン灯篭3基が残されている。変形T字クルスとキリストらしき像が彫られており、歴史的に文化的価値の高い灯篭で、全国でも珍しいものである。


大鳥神社
きりしたん燈篭
click
山手通りをなお300mほど来ると、歩道橋の袂に蟠龍寺(はんりょうじ)がある。

岩窟弁財天で知られている。

戒律厳しく「不許辛肉酒入山門」という結界石が建っているかと思うと、磨り減った顔に口紅をつけた「おしろい地蔵尊」が祀られていたりする。振り返って見れば結界石に「女」という字は書いてない。


蟠龍寺


岩窟弁財天
結界石
click
おしろい地蔵
click
蟠龍寺の前の歩道橋を渡って300mほどで目黒川にかかる太鼓橋にいたる。川岸は見事な桜並木になっている。雅叙園の建物がそびえて見える。

太鼓橋は名のごとく、石のアーチ型の橋で、当時としては洋風の珍しいデザインであった。安藤広重(1797〜1858)の絵にも描かれている。

橋を渡ればすぐ行人坂である。今日でも相当な急坂であるが、昔はもっと大変な難所坂であった。


太鼓橋と雅叙園


行人坂
坂の途中に大圓寺がある。江戸3大火事のひとつ、「行人坂火事」の火元である。女犯を咎められた僧侶が本堂に放火し、その火が2日2晩燃え広がって江戸の3分の1を燃えつくし、2万人近い遭難者を出した。

明和9年(1772) の出来事で「迷惑火事」ともいい、年号が安永に改められた。

遭難者の霊を慰めるため、五百羅漢が祀られている。

大圓寺を出て坂を上がれば、そこが目黒駅である。
大圓寺
click
五百羅漢
click
あとがき

今日の散歩は、神社や寺の境内を歩いた分を含めて、かれこれ4km程度であろう。天気さえよければ、シニアにとっては格好の散歩ルートである。

前半は落語「目黒のさんま」の舞台を捜し歩いたが、先人の調査研究結果が説明板などに記されていて、いい勉強になった。感服ものである。

殿様が秋刀魚を食べた景色・雰囲気を、たとえ300有余年の歳月をへだてているとはゆうものの、身をもって体験したことにより、落語の理解度が多少なりとも違ってくるように思えた次第である。

   トップに戻る
  

inserted by FC2 system