大江戸写真散歩
万世橋から 柳橋まで
まえがき 先回は、万世橋駅の遺構を、現在の万世橋の上から眺めたところで、散歩の区切りをつけておいた。 今回は万世橋を出発点として、前半は柳森神社と柳原土手を歩き、後半は神田川に架かる橋を見ながら一気に柳橋まで歩き、最後は両国橋を渡った対岸から、神田川が隅田川に流れ込む合流点をみて、4回に亘ったシリーズの打上げとする。 |
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ふれあい橋から柳森神社の正面にいたる歩道には、「柳原通り」のプレートが埋め込まれている。 柳森神社の正面には立派な柳の木が植わっており、また歩道には、むくげの花が綺麗に咲いていた。 境内には金比羅宮やおたぬき様の社があり、また力石や神田講の碑が保存されている。 |
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境内では福寿神の赤い鳥居が目立っている。福寿神の由来は、八百屋の娘から三代将軍家光の側室となり、五代将軍綱吉の生母となった桂昌院のように、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗る幸運にあやかりたいと、大奥の女中衆がお狸さまを崇拝したのが始まりという。 福寿神は明治2年にこの柳森神社に合祀され、今日も「他を抜く」という受験運、出世運にご利益があると信奉されている。 |
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先回の散歩で通ってきた筋違(すじかい)御門辺りからこの柳森神社を通り浅草橋辺りまで、神田川の右岸に柳の土手が続いており、柳原土手といわれていた。詳細は、説明板を参照してください。 土手は明治6年に崩されたと書かれているが、それにしても、柳森神社は道路面よりそうとう低い位置にある。 ちなみに、柳森神社(神田須田町)、椙森神社(日本橋堀留町)、烏森神社(新橋)を江戸の三森神社という。 柳森神社から下流に150mほどで、昭和通りが走っている和泉橋に出る。橋の北側に藤堂和泉守の屋敷があったという。 |
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和泉橋から450mほどで、清洲橋通りが通っている美倉橋に出る。 この450mほどの歩道で、岩本町と東神田の商店街の連合バザールが開催されていて、多くの人出で賑わっていた。 写真に見える千代田区のマークのついた白壁の蔵のような建物は、公衆便所である。 |
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美倉橋から250mほどで左衛門通りが通っている左衛門橋に出る。 そこからまた250mほどで江戸通りが通っている浅草橋に出る。 |
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浅草橋は日光街道の要所であり、見附が置かれていた。橋の北詰に浅草見附跡の碑がある。 また南詰めには、幕府直轄領の年貢の徴収、治水や領民紛争の処理などを管理していた関東郡代の役宅跡の説明板が立てられている。 |
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浅草橋の右岸は、柳橋まで約200mが柳の植え込み土手になっている。 柳橋は関東大震災で落橋した後に架けられた復興橋である。 なお、隅田川の支流河口部の第一橋梁は、船頭の帰港の便を考えて各々デザインを変化させているという。 |
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柳橋の上流側は、今も船宿が軒を連ねている。 柳橋から50mほどで隅田川である。両国橋を渡って隅田川の対岸に行き、柳橋の全景を見る。 河口部には警視庁東京湾岸警察署の隅田川水上派出所があり、そこには警備艇が係留されているのが見えた。 |
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あとがき 神田川は井の頭池を水源とし、途中で善福寺川と妙正寺川を合流して、隅田川まで全長約25kmにわたり都心部を貫いて流れている川である。江戸の初期から上水路(上水道)として使用され、その流域には江戸から明治にかけての歴史的旧所名跡が多い。その流域は殆どが今もって開渠になっており、四季を通じて都心の散歩には最適のコースである。 今回の神田川シリーズは、JR高田馬場駅を振り出しに、8.5km弱の流域を3回に分けて歩くつもりが、あちらこちら見所が多かったせいもあって、4回に分けて歩くことになってしまった。健康のための散歩ならば2回に分けて歩くなど、適宜按排して散歩計画を練っていただきたい。 このホームページ「大江戸写真散歩」を開設したのは、2007年7月7日でした。月日の経つのは早いもので、それから丁度1年1ヶ月1日が経過し、2008年8月8日の今日、北京オリンピックの開会式の実況放送を片目で見ながら、丁度40編目のホームページをアップロードしました。この間に1,950人を越える来訪者をお迎えすることが出来、嬉しく思っています。今後とも引き続きご来訪賜りますよう、お願いいたします。 |