大江戸写真散歩
お茶の水から 万世橋まで
まえがき その1、その2と歩いて来て、お茶の水まで到達した。お茶の水界隈はいろいろ見所が多くあるが、今回は右岸の周辺を寄り道して散歩することとし、左岸湯島聖堂や神田明神は別の機会に訪れることとする。 |
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新号を左折して雁木坂を下ると、池田坂に出る。右折して池田坂を下ると250m程で、大田姫稲荷神社のある角に出る。 雁木坂というのは、昔は杏雲堂の前の坂が急坂で、梯子状あるいは階段状に木を組んだ雁木道になっていたからであり、池田坂というのは、池田性を名乗る旗本の屋敷があったからだという。 |
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大田姫稲荷神社は、大田道潅の姫君が疱瘡にかかったおり、京都で疱瘡除けで知られる一口(いもあらい)稲荷を勧進し、江戸城内に祀ったのが始まりと伝わる。 神社縁起の詳細が、境内に掲げられている。 |
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今来た道を戻り、池田坂の坂上に来ると、右手にニコライ堂が見える。明治17年(1884)3月に起工し、工期7年を以って完成した日本最大のビザンチン式建造物として知られている。 その前の坂が紅梅坂である。 |
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御茶ノ水駅のホームに沿った南側の商店街が、茗渓通りである。「茗」とはお茶のことだという。 聖橋を北側(湯島聖堂側)に渡った左袂に、近代教育発祥の地の説明板が立っている。江戸時代の儒教の府であった聖堂から始まって、昌平学校、東京大学、師範学校、女子師範学校、東京教育大学、お茶の水女子大学の、今日に至る経緯が記されている。 |
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聖橋から湯島の聖堂がよく眺められる。聖堂の真下を地下鉄丸の内線が通っていて、神田川を渡るところで地上(水上)に顔を出す。地下鉄が、太陽の光を浴びる一瞬を見ることができる。 この地下鉄は川を渡るとすぐにまた地下にもぐり、JR中央線、総武線の下をくぐって淡路町方向に抜けていく。反対側は本郷3丁目である。 実はこの丸の内線の真下を千代田線が交差して走っており、そしてまたその下を、新御茶ノ水駅近くで、都営新宿線が交差して走っている。 |
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聖橋を右岸側に戻り、信号を左折するとそこは淡路坂である。この坂は相生坂(あいおいざか)、大阪(おおさか)、一口坂(いもあらいさか)などの名称がつけられている。この坂の上に大田姫稲荷神社、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、それに基づいて町名(淡路町)、坂名(淡路坂)が付いたといわれている。 もともとこの辺りにあった大田姫稲荷神社が、中央線の工事により、先に訪れた地に遷移したという。 |
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淡路坂を降り切った点が昌平橋である。昌平橋が架けられたのは寛永年間(1624〜44)と古く、今日に至る経緯を細かく記した説明板が、立てられている。 この橋の両端において、お茶の水で別れた中央線と総武線の鉄橋が高架方式で架けられている。面白いというか、珍しい風景である。またこの橋は、車道と歩道が別に架けられており、その間に3mほどの隙間がある。 |
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橋の袂(左岸)には、湯島天神の幟が立っていた。 橋の下流側には、水道橋近くで取り入れたお茶の水分水路の吐口がぽっかりと口をあけているのが見える。 |
湯島天神の幟
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昌平橋の下流50mほどのところに筋違(すじかい)御門跡がある。今は中央線の高架脇に、歩道に面して御成道の説明板が1枚立っているのみである。分かりにくい地点であるが、神田郵便局の近く、というのが目印である。 煉瓦の遺構に沿って250mくらい行くと、万世橋に出る。橋の上から、旧万世橋駅のレンガ造りの遺構を見ることができる。昔(明治45年)はここが中央線の始発駅であった。 |
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あとがき 万世橋に到着したところで、「神田川コースその3」の区切りとする。歩いた距離はいくばくもないが、ページをまとめるうえで、一段落とする。 なお、一口坂(いもあらいさか)に関しては、同じ坂名が落語編の2番目に掲載した「紀州」にも出てきた。あの坂は、靖国通りの坂上で靖国神社の築地塀が途切れたところの先の市谷に近いところ(九段北4)にある同名異坂である。 |