大江戸写真散歩



新江戸川公園から  お茶の水へ

まえがき
 今回は、先回の最後に訪れた永青文庫と隣り合わせになっている、文京区立新江戸川公園振り出しにして、歩を進める。

 新江戸川公園の入口は、胸突坂を下りてきたところの水神社から、川上へ約200m行った角にある。
地図
クリックして拡大表示
 入口を入ると燈篭などを配置した前庭があり、門をくぐるとその奥には回遊式泉水庭園がある。昔の大名屋敷の庭園風景を今に留めている。

 幕末には細川越中守下屋敷明治には細川家本邸昭和になって都立から区立公園へと変遷してきた。

 公園を出て水神社まで戻って来ると、その前が駒塚橋である。鳥居扁額は、水神神社となっている。
新江戸川公園入口
click
新江戸川公園
click
水神神社鳥居
click
 胸突坂をはさんで水神社の隣が関口芭蕉庵である。入口は、胸突き坂に面したところにある。延宝5年(1677)から4年間松尾芭蕉神田川改修工事の役人としてここに居住していた。

 邸内は、小規模ではあるが回遊式泉水庭園となっており、芭蕉の句碑などが配されている。
関口芭蕉庵
click
関口芭蕉庵の塀
click
芭蕉の句碑
click
 関口芭蕉庵の隣が、椿山荘庭園入口である。ここでも目白台の傾斜を利用した回遊式泉水庭園が造られており、参観することができる。
椿山荘庭園入口
click
椿山荘の庭園
click
 椿山荘の庭園を出て、流れに沿って200mほど行くと大滝橋に出る。

 このあたりに大洗堰を設けて流れを2分し、そのひとつを神田上水として小日向方面から水戸藩上屋敷(小石川後楽園)に引き込み、余った水を神田日本橋方面町屋給水していた。
  
大滝橋
click
大洗堰跡説明板
click
 大滝橋から江戸川橋までの左岸5〜600mが江戸川公園である。

 高戸橋から江戸川橋までは両岸に見事な桜の並木が続き、桜見物の人出で賑わうところである。

 途中に、堰に用いられていた部材を使って再現した水門や、由来碑にはめ込まれていた碑文が保存されている。
江戸川公園
click
水門
click
由来碑の碑文
click
 その先に、一休橋がある。昔、一休といううまい蕎麦屋があったから、この名がついたという。

 江戸川橋に出る手前に、江戸川(今の神田川)の治水功績のあった、大井玄洞翁胸像がある。 

 目白通りに面した公園の入口に「江戸川公園」の大きなが建っている。
一休橋
click
大井玄洞翁胸像
click
江戸川公園の碑
click
 ここから飯田橋までの約1.5kmは、神田川を塞ぐように高速道路が走っていて、この下を歩くのは陰気である。

 加えて、工事中の囲いが川に沿って長々と続いており、折角、各橋の袂に設置してある橋の由緒書を見に行くのが、たいへん煩わしく苦労である。
 
石切橋由緒書
click
中の橋由緒書
click
白鳥橋由緒書
click
 飯田橋交差点に出ると、巨大な歩道橋が頭の上をひと回りしている。これはこれで、一つの奇観である。

 船川原橋を渡って左岸を歩くと、そこは市兵衛河岸である。岩瀬市兵衛の屋敷があったところという。歩道には、石などを配して工夫が施されている。
飯田橋歩道橋
click
船川原橋
click
市兵衛河岸
click
 400mほど行くと、小石川橋があり、川下右岸には、都心で出たごみを船に積み込む施設が見える。丁度、収納船作業中であった。神田川は、今日でも運河の役割を果たしているのである。

 橋を渡ると、直角に三崎橋がある。神田川は、もとはここから日本橋方向に流れていたが(日本橋川)、治水の関係でお茶の水方向に堀を開削して分流させたという。
ごみ収納船
click
三崎橋
click
江戸川分流点
click
 この先100mで後楽橋に出る。ここはJRの水道橋駅の袂である。

 今は外堀通りを跨いで後楽園ブリッジ(歩道橋)ができていて、東京ドームや場外馬券売場に行く大勢の人が、こちらを通っている。

 水道橋駅の南側に、三崎稲荷神社がある。
後楽橋
click
後楽橋と歩道橋
click
三崎稲荷神社
click
 水道橋駅から白山通り(お茶の水方向)に出たところに、水道橋がある。

 外堀通りに沿った歩道には、道路の向かい側が工芸高校だからというわけでもないだろうが、川の流れを模した芸術的なオブジェが設置されている。
水道橋
click
水道橋遠望
click
外堀通の歩道
click
 近くに、神田上水流域全体の説明図が設置されている。

 300mほど行くと、お茶の水分水路の碑がある。

 神田川には、高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路が設けてあり、流域の洪水対策が施されてきた。
神田上水説明図
click
お茶の水分水路碑
click
神田川分水路図
click
 その先すぐに、今回の散歩の目玉の一つである神田上水懸(掛)樋跡の碑がある。水戸藩上屋敷を出た上水路は、この地点で懸樋を掛けて神田川(江戸川)を渡り神田から日本橋方面給水していたのである。

 水道橋のいわれが、ここにある。
懸樋跡の碑
click
懸樋跡の説明板
click
 この先400mほどでお茶の水橋である。この辺りは、登り坂が続く。

 坂を登りきって川を見ると、川面相当下のほうにある。下流にかかる聖橋は、深い谷に架かっている橋のように高いところに見える。

 仙台藩がこの掘割工事を仰せ付かったので、仙台堀とよばれていたという。
お茶の水橋
click
聖橋を望む
click
 お茶の水橋を渡って交番のある角をに回ったところに、「お茶の水」のがある。水が竹筒からちょろちょろと出ているが、もちろん湧き水というわけではない。

 昔、この辺りで(川向こうの高林寺とか)名水が湧き出ていて、これを将軍様のお茶の水に使用していたという。お茶の水の地名のいわれである。
お茶の水の碑
click
あとがき
 神田川という呼び方は明治になってからのもであり、それ以前は江戸川であり、神田上水であったという。

 本日は、御茶ノ水駅に到着したところで一区切りとし、この続きは「その3」とすることとする。

 歩いた距離は、寄り道分も含めて、6km強程度だと思う。ただ、江戸川橋から三崎橋までの2kmほどは、高速道路で頭を押さえつけられている感じで、散歩には不向きな道筋であった。  


 次回は御茶ノ水駅から浅草見附を通り、柳橋を経て、神田川と隅田川との合流点(両国橋脇)まで、歩くこととする。乞う、ご期待。

        トップへ戻る

inserted by FC2 system