大江戸写真散歩
行幸通りの先が桔梗濠で、ここからは桜田二重櫓が目の前に見える。巽(辰巳)櫓ともいわれている。時代劇でよく見かける風景である。写真の左奥に桔梗門が見える。 桔梗門への道は、松並木のように見える。 桔梗門は、内桜田門といい下馬門である。警視庁前の通称桜田門は、外桜田門である。 |
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桔梗門に入る手前に、「内桜田高麗門」の石標がある。 門をくぐって振り返ってみると、石垣の幅(厚み、奥行き)が見えて、門の壮大さが感じられた。 |
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参観者は一旦窓明館(休所)に入り、皇居の説明ビデオを見て参観に出る。 窓名殿を出てすぐ右手に、元枢密院庁舎を見る。この建物は、国会議事堂を作るときの試作建造物で、今の国会議事堂の雛形である。 なお、枢密院とは天皇の最高諮問機関で、明治21年(1888)から昭和22年(1947)まで存在した、 しばらく行くと富士見三重櫓が見える。江戸城の遺構としては最も古いものに属し、万治2年(1659)の再建である。石垣の高さ約14.5m、櫓の高さ約15.5mである。 また、この櫓はどの方向からも同じに見えるので、八方正面の櫓という。 かっては江戸城に19の櫓があったが、現存するのは3櫓だけである。その3つを、今回は遠望することができる。 |
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富士見櫓の先、右手に蓮池濠を見る。濠の右側に、多聞が見える。多聞は、防御と装飾を兼ねた建物であるが、米倉や武器庫の役目もはたしている。 その先に宮内庁の建物が見える。昭和10年(1935)に建築された建物で、戦後昭和27年(1952)から同44年(1969)までの間、3階を仮宮殿として使用していた。坂下門を入ってすぐの地点にある。 |
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左の写真は、新年や天皇誕生日の一般参賀が行われる長和殿東庭である。長和殿は長さが167mある。ここの地下には、大型乗用車120台分の駐車場がつくられている。 写真の右端に見える塔は「松の塔」という。軒下に見える灯篭とともに、国民からの寄付によって造られたものである。 宮殿は、儀式、行事が行われる正殿(せいでん)、豊明殿、長和殿および天皇陛下が公務をお執りになる表御座所などから構成されている。地図を参照してください。 右の写真は、皇族のお立ちになる長和殿のベランダである。第一回の一般参賀が行われた昭和44年1月2日に、昭和天皇がパチンコ玉で狙われる事件があり、以後、ベランダ中央部は防弾ガラスがはめられている。 |
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宮殿への車寄せは南と北にある。北の車寄せも南と同じようであり、エントランスの階段が新内閣認証後の記念写真撮影の雛壇として使われている。 長和殿に向かって左(南)側に壮大なそして手入れの行き届いた南庭園の植え込みが遠望できる。 |
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長和殿南西角に正門鉄橋が架かっている。ここからU字型に曲がって正門石橋を渡ると皇居前広場に出る。 昔は正門鉄橋が木の橋で、橋桁が二重(二層)にできていたので、これを二重橋といった。今は下の石橋(めがね橋)と上下二重に見えるので、二重橋といっているようである。 正門石橋の向こう側に見える皇居前広場は、昔は海であり、海苔の養殖用に竹のヒビ(海苔そだ)が一面に立てられていた。これが日比谷の名の由来である。 |
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正門鉄橋の上から、伏見櫓とそれにつながる長屋造りの多聞が間近に見える。 伏見櫓は、三代将軍家光の頃、京都の伏見城から移設したものといわれている。関東大震災で損傷したが、解体修復されている。 長和殿東庭に戻り、北車寄せ前から宮内庁の裏手に出る。紅葉山に沿って山下通りを通って桔梗門に帰ってくる。 以上で皇居参観は終わり、桔梗門の内側で解散となる。 |
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あとがき 今回の皇居参観の所要時間は約1時間15分であった。5月中旬の穏やかな日であった。参観者の数もそんなに多くもなく、ゆったりと説明を聞いて廻ることができた。 なお、参観手続きは、 http://sankan.kunaicho.go.jp へ、どうぞ。 |