二の丸コース
まえがき 前回の「その1」においては、大手門より入園して百人番所の前の中之門を本丸に向けて歩いたが、今回の「その2」では、二の丸庭園を周回するコースを歩く。 三の丸跡には宮内庁の施設があり、入ることは出来ない。 |
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中之門には、ことのほか大きな石が使われている。 百人番所の前には、中之門の石垣に使われていた巨石が展示されている。 修復時の説明が、詳細に掲示されている。 |
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石垣修復説明板
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二の丸の西側には、武蔵野の面影をとどめるべく雑木林が形成されている。 続く二の丸庭園は、三代将軍家光が小堀遠州に造らせた、回遊式庭園である。 |
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二の丸庭園から汐見坂に抜ける途中に、諏訪の茶屋という建物がある。 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区にあったが、茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、ここに移して保存されているものである。 |
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汐見坂は、本丸と二の丸をつなぐ坂道である。坂に向かって左側が白鳥濠である。 その昔、この坂から日比谷入江の海が見えたので、その名がある。 坂之上には、汐見坂門があった。 汐見坂と梅林坂との間の石垣は、平成14年から同17年にかけて大幅な改修工事が施されていて、そのときの様子が詳細に説明されている。 |
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梅林坂は、汐見坂の北側にある坂道で、今の書陵部庁舎の前を取って天守台に出る坂道である。 汐見坂に比べればゆるやかなスロープで、道の両側に梅林があるので、その名がある。 |
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汐見坂を上がりきったところが、ちょうど大奥の御殿があった近辺である。「大奥の跡」の立て札があるが、古の面影を想像させるようなものは何一つない。 ここから北のほうに天守台が見える。 |
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写真は、天守台を北側から、すなわち北梗橋門(きたはねばしもん)の方向から眺めた景色である。 天守台に上がって南の方向を眺めると、本丸跡が広がっている。そこは手入れの行き届いた芝生の広場で、子供たちの遊び場になっている。「表」「中奥」「大奥」と並んで建っていた幕藩体制の中枢施設は、今は何もない。 |
天守台 click |
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あとがき 2回に分けて、7万坪に及ぶ東御苑のなかの「本丸」と「二の丸」を散歩してきた。 その中にあって、本丸は行政の中枢機関であり、将軍の居所であり、奥女中を含めると800人の女性が妍(けん)を競っていたという正室の居所であった。なんとなく「動」を感じる領域であった。 これに対して二の丸は、将軍の側室やお手付きの女性の隠居所があったところで、本丸よりも一段と低いところにあり、回遊式庭園があったりして、心なしか「静」を感じる空間であった。 |