半蔵門より  大手門へ

まえがき
 その1に引き続き、時計回り半蔵門より大手門へと歩を進める。

 江戸城の内堀は周囲約2里、外堀は約4里あり、豊臣秀吉の大阪城約2倍の広さであるという。

 内堀、外堀からなる江戸城の総構えが完成したのは寛永13年(1636)、3代将軍家光の時代であった。堀はいくつかに区切られていて、本丸の周りは桔梗濠、蛤濠、蓮池濠、乾濠、平川濠、大手濠などで囲み、その外側に馬場先濠、日比谷濠、桜田濠、半蔵濠、千鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠などが配置され、それが外堀へと「の」の字に形成されている。

地図
クリックして拡大表示
 半蔵濠に沿って千鳥ヶ淵公園が続く。

 左にイギリス大使館を見ながら進むと千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入り口に出る。ここから靖国通りまでは千鳥ケ淵桜の名所である。
千鳥ケ淵
click

 靖国通りに出て右折するとすぐ右手が田安門である。

 この門を入ると日本武道館のある北の丸公園に行くが、今日は中に入らずお堀に沿って歩を進める。
田安門
click
田安門の扉
click
 田安門から九段下へ下っていく途中右側に、石造りの灯台のような建造物が目に付く。
 
 これは明治2年(1869)靖国神社の前身である招魂社が建てられたとき、燈明台として建設されたもので、当時は高灯篭と呼ばれていた。
 
 この燈明台は東京湾を航行する船からもよく見え、海の安全に役立っていたという。

 九段坂のいわれについては、「この坂は古くは飯田坂ともよんだが、むかし長屋が九段に建っていて、これを九段長屋と呼んでいたので、この坂を九段坂というようになった」とある。
高灯篭
click

 九段下を右折して、300mほど行くと中部日本放送東京支社があり、その脇に清水門がある。手前の高麗門と奥の渡櫓門が直角に配置されて枡型門を形成している様子が分かる。

 田安門、清水門、その先の一ツ橋門跡の辺りには、御三卿の田安家、清水家、一ツ橋家の屋敷があった。

清水門
click
桝形が分かる清水門
click

 清水濠に沿って進むと、高速道路の下を潜ったところで竹橋に出る。昔は竹橋門があったが今は門は無い。

 天正18年(1590)家康入国のころは竹を編んだ橋が渡してあったので、竹橋の名の由来になったとの説がある。今の石橋は平成5年(1993)に架け替えられたものである。

竹橋
click
竹橋門跡
click
 竹橋から平川濠をとおして見る北桔橋門(きたはねばしもん)は、江戸城の風格を感じさせる構えである。

 この門は天守閣すぐ北側に位置し、本丸から外部に直接通じている重要な地点にあることから、濠を深くして石垣を最も堅固雄大にし、橋も跳ね上げる仕掛になっていた。
北桔橋門
click

 北桔橋より竹橋に至る間が紀伊国坂である。

 坂の名の由来は、「もと尾張紀伊候の御屋敷ありし故なり」だそうだが、なぜ尾張の名がないのか解(げ)せない。

 この坂の北側に、国立近代美術館、国立公文書館がある。


紀伊国坂

 平川濠に沿って進むと平川橋とその奥に平川門が見えてくる。

 太田道灌時代は門の前一帯を平川村と呼んでいたことからその名がついたという。高麗門,渡櫓,木橋が昔のままの姿を残しているのはここだけである。橋の擬宝珠(ぎぼし)は古いものを集めて用いているという。

 この門は江戸城の東北、つまり鬼門にあたるため「不浄門」とも呼ばれ、城内の死者や罪人を出す門でもあり、また「御局御門(おつぼねごもん)」とも呼ばれ、大奥女中の通用門としても使用されていた。
竹橋方向から見た
平川橋
click
大手堀方向から見た
平川橋
click
 平川門と大手門の間には、地下鉄工事のときに出土した、大田道潅築城のときに使った石材や関東大震災のとき都心にあって焼け残ったイチョウの大木や和気清麻呂の立像などがある。

 イチョウの木と和気清麻呂(733〜799)については、江戸時代の話でないので一瞥して通り過ぎる。
太田道潅時代の石材
click
和気清麻呂
click

 かくして平川橋から大手濠に沿って5〜600m進むと、スタート地点の大手門に至る。

 大手門の右手が大手濠、左手が桔梗濠である。左右の堀の風景を見比べると、ビルのただずまいや空の広さが異なっていることに気付く。しかし、いずれものどかな風景である。

大手門
click
石垣と白鳥
click
あとがき

 これで内堀を一周して大手門に戻ってきた。

 石垣の石積みはぴっちりと隙間なく積み上げられており、近づきがたい威容を感じさせる。その大手濠側の石垣に、寄り添りうように白鳥が浮きを作って卵を温めていた。まことに、平和な平成元禄を象徴するかのような平穏な情景である。

 今回の内堀一周散歩を通じて、ビルと車だけが目立つ大東京のど真ん中に、かくも広大な水と緑の空間を確保し、よくも今日まで保存してきたものだと感心させられた。またそれと同時に、この貴重な水と緑の空間を後世に引きついて残していきたいと思った。


大手門より大手濠を望む


大手門より桔梗濠を望む

           トップへ戻る





inserted by FC2 system