半蔵門より 大手門へ
半蔵濠に沿って千鳥ヶ淵公園が続く。 左にイギリス大使館を見ながら進むと千鳥ヶ淵戦没者墓苑の入り口に出る。ここから靖国通りまでは千鳥ケ淵の桜の名所である。 |
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靖国通りに出て右折するとすぐ右手が田安門である。 この門を入ると日本武道館のある北の丸公園に行くが、今日は中に入らずお堀に沿って歩を進める。 |
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田安門から九段下へ下っていく途中右側に、石造りの灯台のような建造物が目に付く。 これは明治2年(1869)靖国神社の前身である招魂社が建てられたとき、燈明台として建設されたもので、当時は高灯篭と呼ばれていた。 この燈明台は東京湾を航行する船からもよく見え、海の安全に役立っていたという。 九段坂のいわれについては、「この坂は古くは飯田坂ともよんだが、むかし長屋が九段に建っていて、これを九段長屋と呼んでいたので、この坂を九段坂というようになった」とある。 |
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九段下を右折して、300mほど行くと中部日本放送東京支社があり、その脇に清水門がある。手前の高麗門と奥の渡櫓門が直角に配置されて枡型門を形成している様子が分かる。 |
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清水濠に沿って進むと、高速道路の下を潜ったところで竹橋に出る。昔は竹橋門があったが今は門は無い。 |
竹橋 click |
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竹橋から平川濠をとおして見る北桔橋門(きたはねばしもん)は、江戸城の風格を感じさせる構えである。 この門は天守閣のすぐ北側に位置し、本丸から外部に直接通じている重要な地点にあることから、濠を深くして石垣を最も堅固雄大にし、橋も跳ね上げる仕掛になっていた。 |
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北桔橋より竹橋に至る間が紀伊国坂である。 坂の名の由来は、「もと尾張紀伊候の御屋敷ありし故なり」だそうだが、なぜ尾張の名がないのか解(げ)せない。 この坂の北側に、国立近代美術館、国立公文書館がある。 |
紀伊国坂 |
平川濠に沿って進むと平川橋とその奥に平川門が見えてくる。 |
竹橋方向から見た 平川橋 click |
大手堀方向から見た 平川橋 click |
平川門と大手門の間には、地下鉄工事のときに出土した、大田道潅が築城のときに使った石材や関東大震災のとき都心にあって焼け残ったイチョウの大木や和気清麻呂の立像などがある。 イチョウの木と和気清麻呂(733〜799)については、江戸時代の話でないので一瞥して通り過ぎる。 |
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かくして平川橋から大手濠に沿って5〜600m進むと、スタート地点の大手門に至る。 大手門の右手が大手濠、左手が桔梗濠である。左右の堀の風景を見比べると、ビルのただずまいや空の広さが異なっていることに気付く。しかし、いずれものどかな風景である。 |
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あとがき
これで内堀を一周して大手門に戻ってきた。 石垣の石積みはぴっちりと隙間なく積み上げられており、近づきがたい威容を感じさせる。その大手濠側の石垣に、寄り添りうように白鳥が浮き巣を作って卵を温めていた。まことに、平和な平成元禄を象徴するかのような平穏な情景である。今回の内堀一周散歩を通じて、ビルと車だけが目立つ大東京のど真ん中に、かくも広大な水と緑の空間を確保し、よくも今日まで保存してきたものだと感心させられた。またそれと同時に、この貴重な水と緑の空間を後世に引きついて残していきたいと思った。 |
大手門より大手濠を望む |
大手門より桔梗濠を望む |