板橋本町より  板橋区役所前へ

まえがき
 東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道五街道という。慶長六年(1601)徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの陸上路の整備を始めた。四代将軍家綱の代になって、万治2年(1659)道中奉行が定められ、五街道とその付属の街道の宿駅を管理するようになった。中山道に伝馬制度が成立したのは、慶長7年(1602)であった。

 中山道は、東海道のように河留めの多い大井川、あるいは浜名の渡し、桑名の渡しなど水による困難がほとんどないので、女性の道中に好まれることが多く、幕末の和宮の降嫁がこの中山道を利用したのはその良い例とされている。
地図
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 都営地下鉄三田線の板橋本町駅で下車。本町(ほんちょう)方向に出ると、そこが中山道と環状七号線の交差点である。 今回の散歩はここを起点として、日本橋に向かって南下していく。

 100m程行くと縁切榎(えんきりえのき)がある。霊力によって災厄が宿内に入らないように植えられたものだが、後に悪縁を絶って良縁を結ぶとして人々から信仰を集めた。この榎の樹皮を削って、煎じて、相手に飲ませると、霊験が現れるという。

 文久元年(1861)の和宮降嫁のときは、この木の下を通らぬよう、1km程の迂回路が作られたという。
環七との交差点
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縁切榎
 100m程行くと板橋である。途中に「中山道板橋宿上宿」の碑があるが、そこに彫られた字は読みにくい。

 石神井川に架かるこの橋は鎌倉時代から板橋と呼ばれており、地名の由来となっている。日本橋からの距離は2里25町33間(10.642km)である。

 橋の袂から緑道が続いており、そこから川原に降りることもできる。
中山道板橋宿
上宿の碑
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板橋
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石神井川緑道
 橋から80m程の左側に、本陣飯田家の菩提寺である文殊院がある。山門左脇に、延命地蔵尊が祀られている。ご本尊の文殊菩薩像は檜寄木造りで、区の文化財である。

 境内に入って右手に、足腰の守り神として知られる「子の権現」が、また左手に閻魔堂がある。
文殊院
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子の権現
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閻魔堂
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 文殊院の先に「板橋宿本陣跡」の碑がある。代々新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡である。皇女和宮も宿泊した所である。

 すぐ向側が、高野長英ゆかりの地と紹介されている。小伝馬町の牢を逃がれて、1両日かくまわれていた水村玄洞宅跡である。詳細は、説明板を参照してください。
板橋宿本陣跡の碑
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高野長英
ゆかりの地
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高野長英説明書
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  板橋宿は環状七号線の辺りから石神井川に架かる板橋までが上宿と呼ばれ、それ以降が、中(仲)宿及び平尾宿に分かれていた。京の方が上宿である。

 宿の長さは15町49間(1.7km)天保14年(1843)の人口は2,448人573軒であった。そこには旅籠屋、料理屋、駕籠屋などが軒を連ねていた。

 仲宿商店街(町名は「仲宿」の字を使用)を歩いていると、和菓子店の前に、板橋の道標と同じ距離を書いた模擬道標が建てられていた。ご愛嬌である。


仲宿商店街
板橋宿道標
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 仲宿商店街から東に直線距離で350mくらい行ったところに、石神井川に架かる緑橋がある。このあたりいったいが加賀藩下屋敷跡で、総面積は21万8千坪であったという。

 この一角にある加賀西公園に、幕命によりオランダに留学中の澤太郎左衛門がベルギーで求めたという圧磨機圧輪の記念碑がある。板橋火薬製造所(東京第二陸軍造兵廠板橋製造所)で、石神井川の水力を使って黒色火薬を作る時に用いた圧磨機で、産業遺産として現物保存されている。詳細は、説明板を参照してください。
圧磨機圧輪記念碑
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説明版
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 加賀西公園から中山道に戻る途中の板橋3丁目交差点に、板橋宿から王子権現に通じる王子新道の道標が、ぽつんと立っている。
王子新道
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あとがき
 中山道は、古代は東海道に対して東山道といって、大化の改新以前は「近江・美濃・飛騨・信濃・武蔵・下野・上野・陸奥」の8国を一括した行政区域の総称であった。それが道の名としても用いられるようになったのは、大化元年(645)に始まる大化の改新以降のことといわれている。

 東海道は海岸を通るので「海道」の字が当てられ、中山道は東山道の中筋の道であるので「中山道」とされた。その他の3街道は「海道」ではないので、「甲州道中」のように「道中」と呼ばれた。今は「街道」の字を当てている。

 さて、板橋宿の写真散歩もここまでのところはお寺の数も少なく、あまり時間をとらずに歩いてこられた。最後に脇道に入って火薬製造所の跡を通り、加賀藩の広大な下屋敷に想いをいたしながら、旧中山道に戻った。これ以降は、その2に続く。

 末筆になりましたが、板橋区の観光センター(板橋3丁目14)のボランティア柿崎さんに、圧磨機圧輪記念碑から、次回「その2」に述べる平尾追分まで、案内をしていただいたことを記し、感謝の意を表します

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