大江戸写真散歩

鍋屋横丁から  妙法寺まで

まえがき
神田に住む粗忽者の旦那が、堀の内のお祖師様(おそっさま)にお参りして”粗忽”を直してもらおうと、朝早く弁当を首に結わえて家を出る。しばらく歩くが様子がおかしいので尋ねてみると、そこは両国橋である。まったく逆の方角に来ている。今来た道を戻り、自分の家の前を通ってしばらく行き、もう一度道を尋ねると「この道を真っ直ぐ行って鍋屋横丁を左に曲がるとお祖師様に出る」と教えられる。 

神田の家がどこかは定かでないが、今のJR神田駅の近くと仮定すると、粗忽者の旦那は靖国通りを市ケ谷から新宿追分に出て、ここで青梅街道に入って営団地下鉄「新中野駅」の手前で鍋屋横丁に到ったものと思われる。

今回の漫歩は前半を省略して、後半のこの鍋屋横丁から始めることとした。
市ケ谷近辺は落語「紀州」を、四谷近辺は7月公開予定の「内藤新宿」を参照していただきたい。

鍋屋横丁に入る手前に慈眼寺がある。

ここの石仏群のなかには、元禄時代の庚申塔がある。

石仏群と少し離れたところに、文化13年(1816)の馬頭観音がある。下の角柱部が道しるべになっていて、左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)と記されている。もとは、青梅街道と石神井道との追分にあったものという。



慈眼寺

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石仏群
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馬頭観音の下部が道標
青梅街道を左に折れて鍋屋横丁に入る。ウイークデーの昼下がりであるせいか、静かな商店街である。

200mほど行くと信号のある四辻に出る。道の右側に髭文字で南無妙法蓮華経と彫られたお題目石がある。これは堀の内の妙法寺に行く道しるべである。

鍋屋横丁からの道が整備されたのは江戸の後期で、それ以前は、神田川と青梅街道が交差している淀橋辺りから、道が分かれていたという。



鍋屋横丁


鍋屋横丁


お題目石

お題目石の角を右に折れ、和田帝釈天商店街へと歩を進める。

途中、左側に銭湯がある。立派な破風の屋根構えと煙突が懐かしい。

それから約600m程行くと、左側に寅薬師がある。正式には曹洞宗石雲山常仙寺で、開創は慶長7年(1603)である。当寺開山・祥岩存吉禅師が狼に襲われたとき、薬師如来像が虎に化身して難を救った由来から「寅薬師」と呼ばれ、災難よけの仏として江戸時代から広く人々に親しまれてきた。


銭湯
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寅薬師


常仙寺

続いて右側に、和田商店会の名の入った和田帝釈天の赤い幟が目に入る。節分には豆播きが行われる。

和田帝釈天から環状七号線(環七)までが和田商店街である。

環状七号線を渡ると、南無妙法蓮華経の真新しいお題目石塔が出迎えてくれる。

いよいよ妙法寺に近づいた雰囲気である。

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和田帝釈天

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環七に面して立つ石塔

妙法寺商店街は、昔は参道沿いの商店街として相当栄えたことだろうが、今は静かな通りである。

妙法寺の一歩手前左側に、があった。落語「芝浜」にでてくる「魚勝」と関係のある店だと、何かで読んだ記憶がある。


妙法寺商店街

魚勝

いよいよ妙法寺に到着。楼門の両脇には火消組の奉納した灯篭が並んでいる。

楼門で仁王様に踏ん付けられた賽銭泥棒が、一発落とす。仁王様が「臭え野郎だ」と睨むと「臭うか(仁王か)」と洒落るのが、落語の世界である。

正面の大きなお堂が祖師堂で、屋根の破風部分の装飾が面白い。

お祖師様(おそっさま)のことを、厄よけ祖師とも呼ぶ。今のお堂は約200年前に建てられたもので、日蓮の木像が安置されている。


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楼門


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祖師堂

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祖師堂の屋根

目に付きにくいが、祖師堂の右手奥に、英国人コンドル氏の設計になる和洋折衷の鉄門がある。明治建築史上貴重な存在である。左右の門柱にしるされた漢詩は、以下のごとくである。
「花は浄界に飛んで 香りは雨となる 金を祇園に布(しい)て 福は田に有り」

祖師堂の右側を裏に廻ったところに、こじんまりとした本堂がある。粗忽者の亭主が、弁当と間違えて女房の緋の腰巻に包んで持って来た枕を開いていると、坊さんが来て、仏様の前でかようなものを開いていてはいかんと、注意されたのはこの辺りであろうか。


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鉄門

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本堂

本堂の右側奥にいろいろなお堂が並んでいる。

先ずは、日蓮宗の代表的教学者、第十一世行学院日朝上人が祀られている日朝堂がある。上人は勉学に精進したため眼病を患った。回復の後、眼病の人々を救わんと大願を立てられた由緒から、眼病平癒、学業増進、入学成就志望の人々の参詣が増えているという。


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行学院日朝堂

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行学院日朝堂の 扁額

次は二十三夜堂で、23日の夜、人々が寄り集まって飲食を共にする二十三夜講あるいは三夜供養の宗教行事に関わるお堂である。当山の二十三夜堂は縁結びと財運に霊験あらたかとして信仰を集めている。

次が浄行堂である。水で心身を清め、諸病を退散させる功徳を有する浄行菩薩が祀られている。

菩薩像にお水を掛け、束子(たわし)で病むところをこするとご利益があるという。


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二十三夜堂


浄行菩薩
この他、時代は新しいが、発起人に竹本越路大夫、杉村春子、山田五十鈴、吾妻徳穂の4名が名を連ねている有吉佐和子之碑や、子育て観音、石の五重塔などがある。

有吉佐和子之碑


子育て観音


石の五重塔
あとがき

粗忽者の亭主はここからまた神田の家まで帰り、それから嫌がる息子を銭湯に連れて行くが、そこでまた息子の背中と間違えて羽目板を洗うとか、一騒動も二騒動も起こすのである。

ところで彼の歩いた距離は、JR神田駅近くの住まいから両国橋までの往復が約4km、住まいから堀之内のお祖師様までの往復が約30km、大雑把な見積であるが約34km、8里半を歩いたことになる。

昔の人は、実によく歩いたもんである。

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