大江戸写真散歩
鍋屋横丁から 妙法寺まで
まえがき 神田の家がどこかは定かでないが、今のJR神田駅の近くと仮定すると、粗忽者の旦那は靖国通りを市ケ谷から新宿追分に出て、ここで青梅街道に入って営団地下鉄「新中野駅」の手前で鍋屋横丁に到ったものと思われる。 今回の漫歩は前半を省略して、後半のこの鍋屋横丁から始めることとした。 |
鍋屋横丁に入る手前に慈眼寺がある。 ここの石仏群のなかには、元禄時代の庚申塔がある。 |
慈眼寺 |
|
馬頭観音の下部が道標 |
青梅街道を左に折れて鍋屋横丁に入る。ウイークデーの昼下がりであるせいか、静かな商店街である。 200mほど行くと信号のある四辻に出る。道の右側に髭文字で南無妙法蓮華経と彫られたお題目石がある。これは堀の内の妙法寺に行く道しるべである。 |
鍋屋横丁 |
鍋屋横丁 |
お題目石 |
続いて右側に、和田商店会の名の入った和田帝釈天の赤い幟が目に入る。節分には豆播きが行われる。 和田帝釈天から環状七号線(環七)までが和田商店街である。 |
和田帝釈天 |
妙法寺商店街は、昔は参道沿いの商店街として相当栄えたことだろうが、今は静かな通りである。 妙法寺の一歩手前左側に、があった。落語「芝浜」にでてくる「魚勝」と関係のある店だと、何かで読んだ記憶がある。 |
妙法寺商店街 |
魚勝 |
いよいよ妙法寺に到着。楼門の両脇には火消組の奉納した灯篭が並んでいる。 |
|
|
目に付きにくいが、祖師堂の右手奥に、英国人コンドル氏の設計になる和洋折衷の鉄門がある。明治建築史上貴重な存在である。左右の門柱にしるされた漢詩は、以下のごとくである。 祖師堂の右側を裏に廻ったところに、こじんまりとした本堂がある。粗忽者の亭主が、弁当と間違えて女房の緋の腰巻に包んで持って来た枕を開いていると、坊さんが来て、仏様の前でかようなものを開いていてはいかんと、注意されたのはこの辺りであろうか。 |
|
本堂の右側奥にいろいろなお堂が並んでいる。 先ずは、日蓮宗の代表的教学者、第十一世行学院日朝上人が祀られている日朝堂がある。上人は勉学に精進したため眼病を患った。回復の後、眼病の人々を救わんと大願を立てられた由緒から、眼病平癒、学業増進、入学成就志望の人々の参詣が増えているという。 |
|
|
次は二十三夜堂で、23日の夜、人々が寄り集まって飲食を共にする二十三夜講あるいは三夜供養の宗教行事に関わるお堂である。当山の二十三夜堂は縁結びと財運に霊験あらたかとして信仰を集めている。 次が浄行堂である。水で心身を清め、諸病を退散させる功徳を有する浄行菩薩が祀られている。 |
|
浄行菩薩 |
この他、時代は新しいが、発起人に竹本越路大夫、杉村春子、山田五十鈴、吾妻徳穂の4名が名を連ねている有吉佐和子之碑や、子育て観音、石の五重塔などがある。 | 有吉佐和子之碑 |
子育て観音 |
石の五重塔 |
あとがき 粗忽者の亭主はここからまた神田の家まで帰り、それから嫌がる息子を銭湯に連れて行くが、そこでまた息子の背中と間違えて羽目板を洗うとか、一騒動も二騒動も起こすのである。 ところで彼の歩いた距離は、JR神田駅近くの住まいから両国橋までの往復が約4km、住まいから堀之内のお祖師様までの往復が約30km、大雑把な見積であるが約34km、8里半を歩いたことになる。 |